人気ブログランキング |

熊谷市の一場面。荻野吟子シリーズ2019.02.12-04.29

e0409288_20163142.jpg
熊谷市の一場面。春壱番『荻野吟子の生涯』
 日本初の女医とされる荻野吟子の映画の制作が動き出した。吟子は、1851年ここ熊谷の俵瀬村に生まれ地元で学問の基礎を学び、その後上京、明治18年に『女医第1号』となり荻野医院を開業。のちに女性解放の先覚者として活躍しました。利根川の史跡に彼女の面影を見ることができます。渡辺淳一の小説『花埋み』のヒロインです。
https://www.sankei.com/li…/news/181218/lif1812180033-n1.html

e0409288_20163884.jpg
熊谷市一場面。春その弐『モダン(鹿鳴館)スタイルの荻野吟子』
 このよく見られる吟子の写真は鹿鳴館スタイルの服装です。鹿鳴館は明治16年(1883)政府の条約改正のための欧化政策により、東京・日比谷に造られた社交場です。当時夜会福にボンネット帽子が当時の流行でした。吟子もこれを取り入れ当地に出むいたかどうかは不明ですが、医者になってまもない頃、熊谷の"小暮写真館"で撮影されたようだ。

e0409288_20164796.jpg
熊谷市一場面春その参吟子の生誕の地『荻野吟子記念館』
 熊谷市の最北部に俵瀬があります。かつてここは北に流れる利根川には堤がなく、南に中条堤がそびえ、利根川の増水のたび水が停留しがちな「水場」の村でした。ここ吟子の生誕地に、『荻野吟子記念館』があります。この館所有の絵図で、当時の様相を伺えることができました。

e0409288_20165666.jpg
熊谷市一場面春その四。県道扱いの渡し船『葛和田の渡し』
 上杉謙信が船橋を架けて軍が渡河していたと伝わる葛和田の渡し(葛和田渡船/群馬県側の名称は赤岩渡船)。現在も利根川に残る貴重な県道扱いの渡し船として現役で活躍。船の料金は無料。此の地の「荻野吟子記念館」は、1851年3月3日の吟子の誕生日を祝って、”吟子鍋”を皆さんに振舞っていました。
https://www.kumagayakan.net/kumagaya/map/point23.html

e0409288_20170889.jpg
熊谷市一場面春その五。荻野吟子も学んだ『両宜塾跡』
 儒学者”寺門静軒”が、万延元年(1860)に妻沼仲宿に開いた塾。慶応3年(1864)、静軒が妻沼を去った後も門人達によって引き継がれ、明治5年(1872)の学制発布まで続けられました。両宜塾には、後に妻沼地方の文化の発展に尽くした有能な人材を生みました。
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/…/karu…/menumakaruta/04e.htm

e0409288_20172929.jpg
熊谷市一場面春その七。吟子桜の『道の駅めぬま』
 熊谷市の妻沼。国道407号沿いに位置する『道の駅めぬま』
ここの河津桜(吟子桜)が見頃を迎えようとしています。荻野吟子女史の誕生日3月3日頃から咲き始めますので当地では吟子桜と呼んでおります。日本の女医第一号の荻野吟子女史の生誕地です。http://mitinoekimenuma.web.fc2.com/

e0409288_20173902.jpg
熊谷市一場面春その八。葛和田の寺小屋『行余書院:大龍寺』
 大龍寺は熊谷市(旧妻沼町)葛和田の中心に位置する浄土宗寺院。この地の寺小屋”行余書院”で、"荻野吟子"が幼い頃に意欲的に基礎教育を受け、知識を飛躍的に向上させたといわれている。因みに、この寺の開山は徳川家康並びに秀忠公の帰依がことの外厚かった演蓮社智誉幡随意上人で、開基は成田氏の家臣島田采女正、慶長10年(1605)開創である。

e0409288_20174821.jpg
熊谷市一場面春その九。女流南画家『奥原晴湖』
 奥原晴湖は明治12年の"皇国名誉書画人名録"筆頭の閨秀画家。上川上村(現・熊谷市)で「繍水草堂」など画室を構えまていました。その風貌から“荻野吟子”の人生に大きな影響を与え、彼女の上京時に、晴湖のように男装したとも伝えられます。今や「奥原晴湖墓」は埼玉県指定記念物旧跡。晴湖の画室に通じる玉石の敷かれた道が見つかり「晴湖の道」として再現されました。
http://www.kumagaya-bunkazai.jp/museum/ijin/okuharaseiko.htm

e0409288_20181784.jpg

熊谷市一場面春その壱壱。葛和田の春『荻野記念館』
 日本初の女性医師"一粒の麦 荻野吟子の生涯"を映画化。出身の熊谷などで撮影が始まりそう。この映画は数々の社会派映画を手がける86歳の山田火砂子監督・現代ぷろだくしょん制作でこの4月にクランクインし、この秋に公開される。演じるのは吟子を女優の若村麻由美さん、吟子の夫・志方之善を俳優の山本耕史さん。ここ『荻野記念館』は活気をあびそうだ。
https://news.goo.ne.jp/…/regi…/tokyo-CK2019032302000168.html


e0409288_20182754.jpg
熊谷市一場面春その壱弐。『インマヌエル教会』と故郷の熊谷聖パウロ教会
 志方之善は明治27年に北海道の”いまかね町”の神丘を「インマヌエル(神と共に在る)」と名付け、蝦夷地をキリスト教徒の理想郷として開拓した人物。そして、もう一人活躍者がいました。熊谷市出身の”熊谷聖パウロ教会”に属した天沼恒三郎です。彼が建てた”インマヌエル教会”は今も信仰の礎として残っています。因みに志方之善は荻野吟子の二番目の夫。そして、ともにクリスチャンであった。

e0409288_10271354.jpg

熊谷市一場面春その壱参。
 赤レンガ・瓦屋根造りの建物『熊谷聖パウロ教会礼拝堂』
煉瓦造りの壁面が印象的。鐘楼の力強さと大きな切妻屋根とのバランスが美しい。今の聖堂は1919年にJ・マキム主教によって聖別され、赤レンガ・瓦屋根造りの建物で地域の人々に親しまれています。1923年の「関東大震災」、1945年8月の「熊谷空襲」の中を歩んできた礼拝堂は、今も人々の信仰を支えています。設計は立教大学の礼拝堂や校舎を設計・監督した米国人建築家ウィリアム・ウィルソン。


e0409288_10273348.jpg

春の熊谷市一場面春その壱五『光恩寺長屋門(荻野吟子生家長屋門)」
 武蔵国幡羅郡俵瀬村の名主・荻野綾三郎邸から明治18年~26年頃に”光恩寺”に移築された長屋門。荻野綾三郎の娘・荻野吟子は近代日本初の女医。その荻野吟子生家の長屋門が、群馬県側の光恩寺に移築され現存しています。荻野吟子の生家・荻野家と”光恩寺”には関係があり、明治18年、檀家の斡旋で長屋門が移築されたと推測されます。江戸時代末期の建築で、現在は庫裏(くり)に通じる通用門として使われています。


e0409288_10274130.jpg
熊谷市一場面春その壱六。23年ぶりの秘仏公開『妻沼聖天山歓喜院』

 公開された秘仏「御正体錫杖頭」を一目見ようと行列。熊谷市の『妻沼聖天山歓喜院』の本尊で国指定重要文化財「御正躰錫杖頭」の御開帳が16日始まった。安置されている厨子の扉を開くことから、「御開扉」と呼ばれる。大勢の参拝客が23年ぶりに公開される秘仏を拝観した。22日まで。前回は参拝客12万人、国宝指定後初となる今回は15万人か。この日は鈴木院主と本殿修復に携わった小西美術工芸社のデービッド・アトキンソン社長の、文化財保存をテーマに記念フォーラムを開催。


e0409288_10274565.jpg

熊谷市一場面春その壱七。瓦葺屋根の和風建築の『妻沼展示館』
 熊谷市の妻沼にある、この展示館は日本公許女性医師第1号である荻野吟子の生家である長屋門を模した建物で、埼玉県北部地域の文化・芸術の発信基地です。久々に訪れてみましたが、約20年前の演劇の『命燃えて』の大型パネルがありました。命燃えては渡辺淳一の小説『花埋み』を基にし、1998年に新橋演舞場にて初公演された演劇作品。主演・三田佳子。


以上2019.04末までのFacebook公開。



by ginkoworld | 2019-04-04 20:27 | Comments(0)

荻野吟子の生涯と荻野吟子記念館


by ginkoworld